私自身は戦後の人間なので、
その当時を生で知る事はありませんでしたが、
お婆ちゃんからよく終戦の日のことに
ついて話を聞いたものです。
さて、終戦記念日とお盆は同じ時期に重なっていますが、
これにはどういった意味があるのでしょうか・・・??
今日は、終戦記念日とお盆の関係についてお話します。
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終戦記念日とお盆の関係は?
終戦記念日とお盆、
実のところは”無関係”です。
そもそもお盆の方が歴史は古く、
旧暦の7/15に行われていました。
新暦になり、旧暦のままとするところと
1ヶ月ずれる新暦8/15(月遅れ盆)と
地域などで別れました。
明治政府に近い南関東では旧暦のまま、
西日本や北関東や東北などは月遅れ盆と
別れており、ただ、全てではなく
織り交ぜた地域もあり、どれが正確という答えはありません。
終戦記念日はお盆休み中にあるのは偶然??
終戦記念日とお盆が重なったのは、
奇しくも偶然です。
終戦記念日とは、1945年8/15、
昭和天皇による「大東亜戦争終結ノ詔書」が、
玉音放送され、ポツダム宣言の受諾が
日本国民へと伝えられました。
ポツダム宣言の受諾は8/14に通告済みで、
正式な停戦命令を出したのは8/16。
降伏文書にサインしたのは9/2、
そしてサンフランシスコ平和条約の発効により、
国際法上、ソ連等共産主義諸国を除く
連合国各国と日本の戦争状態が集結した日は、
1952年4/28です。
ただ、国民としては”戦争が終わった”と
実感したのは1945年8/15の日本の
無条件降伏が発表された日ともあり、
また、1957年8/15”引揚者給付金等支給法”が
定められた際に『8/15』を終戦の基準とする事になりました。
その後、1963年5月14日の閣議決定により、
その年から毎年8/15に
「全国戦没者追悼式」が行われる様になりました。
簡単にまとめれば、本当に偶然で
無条件降伏を国民に流された日が
その後、終戦の基準になったことによって
重なったというだけの事だったのです。
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終戦記念日前に日本にはお盆ってあったの?由来は?
お盆は、終戦記念日よりも以前に存在していました。
お盆とは、言わずと知れた先祖や亡くなった方々の
霊を祀る期間であり、年間行事の1つで、全国的な風習です。
太陰太陽暦である”和暦”(天保暦・旧暦ともいう)の
7/15を中心に、日本で行われています。
仏教行事と認識されているものですが、
仏教の教義で説明に難しい部分もあります。
古神道における先祖供養・神事を、
江戸幕府が庶民に強いた『檀家制度』により
仏教式で行う事も強制して、仏教行事である
『盂蘭盆(うらぼん)』などが合わさり、
現在の形が出来たとされています。
なお、『檀家制度』については、
特定の寺院と継続的に葬祭の関係を結び、
お布施を行って寺院の護持にあたる家の事を檀家と言います。
公家や武家が家の菩提寺を持つことに
始まり、江戸幕府の宗教統制制作から
生まれたもので、日本特有のものです。
また、由来は仏教用語である「盂蘭盆」の
略形として「盆・お盆」と呼ばれています。
本来は「盆」という字の意味の通りで、
霊に対する供物を置く器を意味していて、
供物を供え祀られる精霊の呼称となって、
盂蘭盆と習合したという説もあります。
伝統では、旧暦7月15日(旧盆)にあたる
中元節の日に祝われましたが、
日本では1873年1/1のグレゴリオ暦(新暦)以降、
以下の様な日に行われる事になりました。
沖縄・奄美地方等
新暦7/15(前後の土日)
東京・横浜・静岡旧市街地・函館・金沢旧市街地等
新暦8/15(月遅れ盆、7/15の地域では旧盆と呼ばれる)
全国的
※その他、8/1などもあり。