『紀元節・紀元祭』とは、
どんなものかご存知ですか?
日本の歴史上、節目の日が現在、
名前を変え祝日になっているものが数多くあります。
「そんな難しい事はわからないよ」という前に!
ちょっとだけどんなものか知ってみませんか?
今回取り上げる「紀元節」さらに「紀元祭」には
どんな意味があり現代に生きているのか?
解りやすくご紹介します。
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紀元節と紀元祭とはどんな意味?建国記念日との関係
『紀元節』とは、
日本書紀による「神武天皇即位の日」
旧暦1月1日で現在の新暦にすると
紀元前660年2月11日。
新暦を採用した明治政府は、
1872年(明治5年)2月11日を
『紀元節』として制定しました。
1914年(大正3年)から全国の神社で、
『紀元節』を祝う紀元祭が行われ、
民間では建国祭と称して祭典を行っていました。
戦後、1948年(昭和23年)には、
日本国憲法の精神より廃止となりましたが、
「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、
1966年(昭和41年)に
『建国記念の日』として制定しました。
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天長節や明治節は紀元節と深いつながりや由来
『天長節』とは現在でいう天皇誕生日をいい、
奈良時代では「天長宝寿楽」が行われたり、室町時代には
天皇が生まれた日を祝ったとされています。
正式な制定は1868年(明治元年)、
明治天皇の誕生日である9月22日を
国家として初めて天長節として祝いました。
その後、1973年(明治6年)に現在の新暦である
太陽暦を採用後は、11月3日に変更、
さらに大正時代には大正2年まで、大正天皇の
誕生日8月31日を天長節として祝いましたが、
夏の暑さが厳しく各種行事を行う事が困難となったため
その翌年以降は10月31日を天長節としました。
そして明治天皇の誕生日である11月3日を
『明治節』として1927年(昭和2年)制定し
祝日としていましたが、1948年(昭和23年)に廃止、
現在は『文化の日』として
文化勲章授与式などが行われ、
古く新憲法公布日でもありますが
関係性はないとのことです。
また、昭和となった際には昭和天皇の
誕生日である4月29日を『昭和節』としていましたが、
戦後はその呼び名も変わり『天皇誕生日』、
崩御された後は昭和天皇が緑を愛した事により
現在は『みどりの日』と改名されました。
なお、紀元節・天長節・明治節の頭には四方節があり、
全てをまとめて「四大節」といいます。
神武天皇(神武天皇)の即位日として始まった
紀元節ですが、実在した人物かどうか?が問われていて、
日本神話上で初代天皇、
日本書紀では天皇即位は辛酉年1月1日、
古事記では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)
天皇称号は推古天皇説という説もあります。
紀元節と紀元祭で歌う歌がある?その歌詞とは?
一部神社で続けられて来た紀元祭ですが、
祭典後には「紀元節の歌」を歌います。
古くは四大節それぞれに歌があり、
四方節(平安時代の元旦)では知ってる方も多い
「年の初めの例(ためし)とて~終わりなき世のめでたさを~」
という「一月一日」を歌いました。